疋野長者伝説ゆかりの肥後の古名社
式内社・疋野神社・旧県社
式内社
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疋野神社
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旧県社
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式内の疋野の杜へ宮まいり 長者の如き幸を祈りて
疋野の里の神のみやしろ
式内の疋野の杜へ宮まいり
長者の如き幸を祈りて
疋野神社の由緒御案内
◎ 疋野神社は2000年の歴史を持つ肥後の国の古名社です ◎
・疋野神社の創立は景行天皇築紫御巡幸の時より古いと伝えられ、2000年の歴史を持つ肥後の国の古名社です。
・平安時代の六国史の一つ『続日本後紀』に
「仁明天皇承和7年7月庚子(西暦840年)肥後国玉名郡疋野神社を以って官社に預からしむ」と官社列格の年月日が銘記されている由緒深い神社「国史現在社」であり、また平安時代の国の法律書『延喜式』の神名帳にも記載されている、いわゆる「式内社」であり、県下でも特に貴重な存在です。
『延喜式』は延長5年(西暦927年)制定され、日本全国で当時すでに存在し、また著名であった神社が、国家守護の神社(官社=官幣社)として記載されています。
・現在熊本県下で宗教法人としての神社数は約1400社程ですが、式内社は阿蘇地方の阿蘇神社、国造神社、そして玉名地方の疋野神社の三社のみです。
◎ 疋野神社は玉名地方で最高の県社に格づけされた神社です ◎
・疋野神社は前述の如く、「国史現在社」・「式内社」であり、また明治初年には県下で真っ先に「県社」に列格されました。
・玉名地方(熊本県神社庁玉名支部)には宗教法人の神社が203社ありますが、県社は当神社のみです。(県社1社、郷社7社、村社142社、無各社53社)
◎ 疋野神社の御祭神は古来より、玉名の地に御鎮座・御守護の大神様です ◎
・疋野神社は他の神社よりのご勧請の神様をお祀りした神社ではありません。
大昔よりこの玉名の地に御鎮座の神社であり、この地方を古来より御守護なされてきた神様をお祀りする神社です。
・御祭神、「波比岐神」は日本最古の著『古事記』記載の神様であり、日本建国の場づくりをなされた神代の時代の尊い神様です。
『延喜式』には、天皇御即位時の大嘗祭の八神殿に祀る神として、又祈年祭・月次祭の祝詞や、神明帳の宮中三十六座の中にもその御神号が見え、特に朝廷の御崇敬が深い神として記されています。
相殿には父神様であります「大年神」がお祀りされています。
大年神は、天照大御神と御姉弟であります素盞鳴尊の御子神様です。
・当神社は奈良平安時代、玉名地方の豪族日置氏の氏神神社として、はなやかに栄え、また鎮座地の立願寺という地名は、疋野神社の神護寺であった「立願寺」というお寺の名前が起源です。
◎ すばらしい御社殿と鳥居は文化財としても貴重なものです ◎
・現在の御社殿は、江戸時代初期元禄四年(1691)の約330年前、藩主細川綱利公の御造営で堂々たる流れ造りの見事な御社殿です。
・二の鳥居は、当時の家老八代城主長岡筑後守の寄進の石鳥居であり、これ程古く、またがっしりした鳥居は稀有なものです。
・参道正面の一の鳥居は、天をつくような純白の大鳥居で、昭和55年(西暦 1980年)に氏子崇敬者をはじめ国内外の数千人にのぼる多くの人々の真心により奉納されたものであり、県下にほこる大鳥居です。
また平成27年(西暦 2015年)に建立の北口参道大鳥居は耐候性特殊鉄鋼製の大鳥居で見事な姿で聳えています。(現在、疋野神社には、大鳥居からミニ鳥居まで6ヶ所に鳥居があります。)
・御社殿のまわりの石造の玉垣には、神社裏手一帯にあった奈良平安時代の玉名郡倉跡の何百個という礎石が使用されています。
(この地は1300年前に玉名温泉を発見した「疋野長者伝説」の長者の屋敷があったところと伝えられている)
・当神社は、玉名地方を見はらす高台にあり、境内の静寂な御神域には荘厳さがただよい、また春の桜、秋の紅葉も見事なものであり、参拝の人々の目を楽しませてくれています。
◎ 疋野神社は長者伝説の如く縁結・商売繁盛・開運招福に御神徳高い神社です ◎
「都の姫君と奇しき縁に結ばれた炭焼き小五郎は、後に疋野長者とたたえられ・・・・・・」
この疋野長者にあやかり長者の如き幸と福を祈って、遠近より沢山の参拝者があとをたちません。
疋野長者伝説
◎ 玉名地方に伝わる炭焼きの小五郎(後の疋野長者)にまつわる伝説です ◎
千古の昔、都に美しい姫君がおられました。
「肥後国疋野の里に住む炭焼小五郎という若者と夫婦になるように」との夢を度々みられた姫君は、供を従えはるばると小岱山の麓の疋野の里へやってこられました。
小五郎は驚き、貧しさ故に食べる物もないと断りましたが、姫君はお告げだからぜひ妻にと申され、また金貨を渡しお米を買ってきて欲しいと頼まれました。
しかたなく出かけた小五郎は、途中飛んできた白さぎに金貨を投げつけました。
傷を負った白さぎは、湯煙立ち上る谷間へ落ちて行きました。
が、暫くすると元気になって飛び去って行きました。
お米を買わずに引き返した小五郎に姫君は
「あれは大切なお金というもので何でも買うことができましたのに」と残念がられました。
「あのようなものは、この山の中に沢山あります」 との返事に、よく見るとあちこち沢山の金塊が埋もれていました。
こうして、めでたく姫君と夫婦になった小五郎は、疋野長者と呼ばれて大変栄えて幸福に暮らしました。
◎ 疋野長者の伝説と現在の玉名地方や疋野神社とのつながりは ◎
・白さぎが元気になった出湯は、現在では玉名温泉(旧・立願寺温泉)として栄え
また、長者の御神陵が御社殿の真裏に祀られている疋野神社は長者ゆかりのお宮として多くの方々が御参拝されています。
(昔より毎年4月1日に疋野長者祭を斎行)
・御神陵真横の「長者の泉」からは清らかな御神水(温かい)が湧出していて、あちこちから沢山の人々が汲みに来られています。
・さらに、近くの小岱山の麓には多くのタタラ製鉄の跡地があり、疋野長者はこの製鉄(伝説に云う金塊)によって栄えたものと思われます。
(疋野長者の物語は江戸時代に編纂された『肥後国誌』という書物に記載されています)
疋野神社史[特記]
疋野神社は「式内社」であり、「国史現在社」です。
●「式内社」とは、「延喜式内社」の略称です。
延喜式は、平安時代の延喜5年(西暦905年)醍醐天皇の命により 開始され、22年後の延長5年(西暦927年)に完成した国家行政の基本的施行細則が決められた国の法律書です。
全五十巻の内、第一巻より第十巻までが神祇式であり、祭政一致の当時いかに神社が大切にされたか がわかります。
そして、この中の第九巻・第十巻は、特に当時の重要な神社名が記載されていて、「延喜式神名帳」と呼ばれています。
この延喜式神名帳に記載されている2861社の神社がいわゆる「式内社」です。
「式内社」は官社いわゆる国家の宗祀としてあがめ祀られ、毎年の祭典には国費より幣帛を奉り、国の平安無事を祈るものとされていて神道信仰の中心神社として格別に大切にされてきた神社です。
全国2861社の式内社の分布は、概して畿内地方に近いほど多く、また当時の朝廷が特に重要としていた地方に多く存在しています。
千古の昔より続く式内社と呼ばれる神社は、熊本県では3社、阿蘇以外では当社のみで非常に貴重な存在です。
・健磐龍命神社(阿蘇神社)(阿蘇)
・國造神社(阿蘇)
・疋野神社(玉名)
全国の神社数
現在 約80,000社
●「国史現在社」とは我が国古代の正史である「六国史」に記載の神社のことです。
疋野神社は、式内社として「延喜式」に記載されるより100年近く前の承和7年(西暦840年) には、すでに六国史の一つ「続日本後紀」に官社列格の年月日が記載されていて、「国史現在社」と呼ばれるさらに貴重な神社となっています。
明治初年には、県社に列格されています。
疋野神社が古くより、このように重要視されていたということは、熊本県内でも玉名地方が早くから開け、如何に我が国の重要な地方となっていたかということが理解できます。
●「疋野神社の御創建」は不詳な程古いですが、神社伝承では約2000年前の景行天皇御巡幸の折りに重く祀られたと伝えられ、小岱山の中腹には現在の御社殿建立以前の磐座跡と推定される処が存在しています。
このように疋野神社は歴史の古い神社であるだけに玉名地方には「疋野長者伝説」が伝わり、長者の御神陵が境内に祀られていて毎年「長者祭」が斎行されています。(玉名温泉発見物語)
疋野神社概略史
景行18年 | (西暦88年頃) | 景行天皇の筑紫御巡幸の折り疋野神社を鎮祭し給う 「明年28年疋野神社調書」 |
承和7年 | (西暦840年) | 官社に列格する「仁明帝御宇承和7年7月庚子・・・」 『続日本後紀』 |
延長5年 | (西暦927年) | 肥後国では阿蘇以外の地唯一の式内社となる 『延喜式』 (熊本県現在約1400社) |
元禄4年 | (西暦1691年) | 肥後藩主・細川綱利公、現在の御社殿造営(二の鳥居は八代城主・長岡直之公の寄進) |
明治4年 | (西暦1871年) | 玉名地方唯一最高の県社に列す「明治23年疋野神社調書」 (玉名地方現在約200社) |
昭和55年 | (西暦1980年) | 表参道正面大鳥居建立(阿蘇神社第91代・阿蘇惟友宮司の揮毫額) |
平成2年 | (西暦1990年) | 官社列格1150年奉祝式年大祭 → 社務所建設 御神殿屋根葺き替え |
平成11年 | (西暦1999年) | 台風11号による御神殿大破 → 2年間の再建工事により復興 |
平成27年 | (西暦2015年) | 官社列格1175年奉祝式年大祭 → 北口大鳥居建立 (耐候性特殊鋼製) |
景行18年(西暦88年頃)
景行天皇の筑紫御巡幸の折り疋野神社を鎮祭し給う 「明年28年疋野神社調書」 |
承和7年(西暦840年)
官社に列格する「仁明帝御宇承和7年7月庚子・・・」 『続日本後紀』 |
延長5年(西暦927年)
肥後国では阿蘇以外の地唯一の式内社となる 『延喜式』 (熊本県現在約1400社) |
元禄4年(西暦1691年)
肥後藩主・細川綱利公、現在の御社殿造営(二の鳥居は八代城主・長岡直之公の寄進) |
明治4年(西暦1871年)
玉名地方唯一最高の県社に列す「明治23年疋野神社調書」 (玉名地方現在約200社) |
昭和55年(西暦1980年)
表参道正面大鳥居建立(阿蘇神社第91代・阿蘇惟友宮司の揮毫額) |
平成2年(西暦1990年)
官社列格1150年奉祝式年大祭 → 社務所建設 御神殿屋根葺き替え |
平成11年 (西暦1999年)
台風11号による御神殿大破 → 2年間の再建工事により復興 |
平成27年(西暦2015年)
官社列格1175年奉祝式年大祭 → 北口大鳥居建立 (耐候性特殊鋼製) |
主な公式祭典
年間の神社の主な公的祭典を紹介します
1月1日 ・・・・・・ ・・・・・歳旦祭
立春直前日曜日 ・・・・・・ ・・節分祭
2月初丑日 ・・・・・・ ・・・・初丑祭
2月11日 ・・・・・・・・・・ 紀元祭
2月17日 ・・・・・・・・・・ 祈年祭
4月1日 ・・・・・・・・・・・ 長者祭
4月29日 ・・・・・・・・・・ 昭和祭
6月1日・・・・・・・・・・・ 還暦祭
8月1日・・・・・・・・・・・ 大 祓
10月15日 ・・・・・・・・・ 例大祭
11月23日 ・・・・・・・・・ 新嘗祭
12月23日 ・・・・・・・・・ 天長祭
毎月1日、15日 ・・・・・・・ 月次祭
初詣 ・・・・・ 1月1日午前0時 (歳旦祭) 境内をうめつくす人の波
大祓 ・・8月1日午後6時 (輪くぐり神事) 茅の輪をくぐる参拝者
例大祭 ・・10月15日午前10時 (献幣祭) 式典参進と射的神事の的
人生儀礼と祈願神事
人生儀礼 | 祈願神事 |
初宮詣 (男児31日目・女児33日目) |
商売繁昌 |
初誕生祭 (生後1年目の誕生日) |
交通安全 (車) |
初節句 (桃節句・端午節句) |
家内安全 |
七五三詣(11月15日) | 業務安全 |
勧学祭(入園・入学直前) | 開運厄除 |
合格祈願 (中学・高校・大学入試直前) |
病気平癒 |
成人祭(1月15日) | 旅行安全 |
就職成功祈願(就職試験直前) | 海上安全 |
良縁縁結祈願(結婚希望時) | 火難消除 |
神前結婚式(御成婚時) | 慰 霊 祭 |
安産祈願(5ケ月目の戍の日) | 家 解 祓 |
厄 祓 (男厄入41才・厄晴42才) |
地 鎮 祭 |
厄 祓 (女厄入32才・厄晴33才) |
起 工 祭 |
錫 婚・銅 婚(10年・15年) | 落 成 祭 |
銀 婚・金 婚(25年・50年) | 家 祓 祭 |
還 暦・古 希(61歳・70歳) | 井 戸 祓 |
喜 寿・米 寿(77歳・88歳) | 樹木伐採 |
(その他、感謝・祈願・報告されたいことなど)
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(TEL 0968-72-2917)
(FAX 0968-75-1040)
兼務神社
山田日吉神社 | 中尾菅原神社 | 河崎菅原神社 | 溝上阿蘇神社 |
月田菅原神社 | 石貫熊野座神社 | 青木熊野座神社 | 箱谷熊野座神社 |
上河崎後古閑神社 | 庄山神宮 | 古閑菅原神社 | 上村八幡宮 |
西中土神社 | 三崎八坂神社 | 開田八幡宮 | 西照寺菅原神社 |
東中土神社 | 外島住吉神社 | 他 九社 |
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